米良の神楽(銀鏡神楽・尾八重神楽・中之又神楽・村所神楽・小川神楽・越野尾神楽)

国指定重要無形民俗文化財「米良の神楽」について

 宮崎県央部、一ツ瀬川・小丸川上流域の山間部に位置する「米良めら」と称される地域では、古くより神楽が伝承され、執り行われてきました。これらの神楽は、米良地域にて伝承され、神楽を舞うための「御神屋みこうや」を設けて三十三番もの演目を夜通し行う「夜神楽」です。神話の神々やそれぞれの土地に由来する神々が登場して舞う演目に加えて、地域の生業である狩猟習俗の所作を反映した演目など、他地域の神楽にはない特色をもっています。そうした独自性から、西日本における神楽の変遷を考える上でも注目されている重要な事例です。
 昭和52年5月17日、米良地域の中で西都市銀鏡しろみ地区に伝承されてきた神楽が、国指定重要無形民俗文化財「米良(銀鏡)神楽」として、宮崎県で初めて国の指定を受けました。その後、同じく米良地域に伝承された尾八重おはえ神楽」(西都市尾八重地区)「中之又神楽」(木城町)村所むらしょ神楽」「小川神楽」越野尾こしのお神楽」(西米良村)の5つの神楽においても、継続した民俗調査等によって伝承状況が明らかとなり、平成29年3月3日には「米良山の神楽」として国より「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されました。
 そしてこの度、令和5年3月22日、上記6つの神楽を併せて、国指定重要無形民俗文化財「米良の神楽」へ名称を変更、さらには各神楽保存団体が保護団体に加わりました。
 ここでは、「米良の神楽」を構成する神楽の中で、西都市に伝わる「銀鏡神楽」・「尾八重神楽」について紹介します。

銀鏡神楽

指定年月日:昭和52年5月17日、指定内容変更:令和5年3月22日
開催時期:12月13日から同16日まで  場所:銀鏡神社

シシトギリ.JPG 銀鏡神社は竜房山をご神体とし、祭神は大山衹命、磐長姫、懐良親王です。神社は、長享3年(1489年)、銀鏡初代城主米良重続公により建立されたことが棟札より知られています。江戸時代から明治時代にかけて、米良は菊池氏の入山地となりました。銀鏡神社社家の淡路守重賢が、天和年間に鵜戸山道場で修得した鵜戸神楽を持ち帰り、鵜戸門流の神楽とも伝えられます。神楽は、神話に基づく神、先祖神、土地の神、狩猟神などを織り込んだ冬の大祭として連綿として継承され、毎年多くの人々が訪れています。
 銀鏡神楽は、毎年12月13日の星の舞から16日のシシバマツリまでの日程を変更することなく、旧来の伝統を保持しています。本番に備えた前月末からの神楽習いから当日までのほぼ1カ月間、集落全体が神楽一色となります。
 神楽は大祭のほか、年間8回の小祭りでも執行されます。

引用・出典:『西都市史 通史編 下巻』 第6章 民俗 第4節 祭礼と芸能 第二項 民俗芸能 一 神楽 1 銀鏡神楽

尾八重神楽

指定年月日:県指定:昭和56年3月、国選択:平成29年3月3日、国指定:令和5年3月22日
開催時期:11月末  開催場所:尾八重神社

宿神.jpg 永正8年(1511年)、時の領主黒木吉英により舞殿が建てられて以来、長い歴史を重ねて尾八重神楽は継承されてきました。祭神は、大山衹命、大国主命の2神です。
 保存会では、現在定期練習の場を設け、幼少児から若者までの後継者育成を進めています。氏子の思いを、保存会、賛助会と幅広い支援組織に広げて底辺を強くし、本番前の仕上げとしての「日習い」を、西都市内で実施し、力強い人々の結集が形を変えて出現しています。神楽を支えているのは、尾八重に生きてきた人々の故郷を思う一心で、神楽は心の支えとなっております。

引用・出典:『西都市史 通史編 下巻』 第6章 民俗 第4節 祭礼と芸能 第二項 民俗芸能 一 神楽 2 尾八重神楽

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